1991年から1997年までマツダが展開していた5チャンネル体制(『マツダ』『オートラマ』『オートザム』『アンフィニ』『ユーノス』)の事。
チャンネルとは、販売店毎に車種カテゴリーや趣向を変え、それぞれの店舗毎に客層を分ける事である。
1989年。バブル絶頂期のこの時代、マツダはトヨタや日産の他チャンネル(5チャンネル)を参考にブランド力の向上を目指して多チャンネル化をする事にした。それが下記の5チャンネルだった。
- オートラマ店は「エンジョイ・カーライフ」「世界一の流通生産性の実現」をコンセプトに、提携してたフォード車とそのOEM車両の販売*2。このオートラマ店のビジネスモデルは全く新しい営業スタイル且つ、新規参入しやすいものだった事から自動車とは全く縁のない企業*3も経営資本に参加した。
- オートザム店は「あなたの街の身近なカーショップ」をコンセプトに、主に小型車*4中心のラインナップを展開した。オートザム店は、中小のディーラーや整備工場を中心に販売網を整備した事が特徴の一つとして挙げられる。また、ラインナップに存在しない高級車枠を補う為、ランチアから正規輸入店の認証を得て、テーマやデルタ等も販売した。
- アンフィニ店は「すべてのお客様を『ゲスト』と考える『新お客様発想』」「お客様に無限の喜びを提供する」をコンセプトに、中上級車種(RX-7、MPV、MS-6等)中心のラインナップを展開した。従来のカペラやルーチェの名前を廃止し、MSから始まる新たな車名を付けたのが特徴の一つである。
- ユーノス店はマツダのプレミアムブランドとして設立され、マツダの技術力を世に知らしめたモデルが多く販売された。シトロエンから輸入権を取得して、シトロエン車の販売も行ったりしていた。
湾岸マキシではEUNOS Cosmo TYPE-S (JCESE)、EUNOS ROADSTER(NA6CE)が該当。
この計画は当初から無謀と言われており、多店舗展開自体は開始直後は好調だったものの、すぐに陰りが見え、そこにバブル崩壊が追い討ちをかけてあっという間に深刻な経営不振に陥ってしまった。この計画を象徴する車両として、「マツダ・クロノス」が挙げられる。
- クロノスにはチャンネル毎に兄弟車種を設定した。そのせいで兄弟車種が実に8車種も存在する*5。これらの車両はいずれも深刻な販売不振に陥り、最終期には8車種合わせての生産台数が1万台に届かないという悲惨極まりない状況になり、マツダは当時提携していたフォード傘下に入ることになる。
この事からこの出来事の通称は『クロノスの悲劇』と呼ばれる。 - また、マツダは北米にて新ブランド展開を狙っており、トヨタのレクサスや日産のインフィニティと真っ向から勝負をする為、『アマティ』ブランドを立ち上げ、1994年より販売を開始するとした。フラッグシップになる予定だったアマティ1000(日本名:ユーノス1000)は、当時の国産車では存在せず、後年になっても2代目のトヨタ・センチュリーしか採用例のないV12型4000CCのエンジンを搭載予定だった。開発も最終段階に入り、カタログまで作られたが、1992年、アマティ計画は白紙撤回されアマティは幻のブランドとなった。
その他の新規車種も非常に意欲的な作品が多かったものの、ユーノス店のロードスター、アンフィニ店のRX-7、オートラマ店のキャロル以外は殆どと言っていい程悉く失敗し、マツダの経営を圧迫した。購入層の読みを見誤った事、長年親しんだ社名*6や車名を突然変更してしまった為、今までの購入層までも離れてしまい、「唯一成功したロードスターで稼いだ利益を全てドブに漬けた」とも言われてしまった。
だが、この時に開発された3ローターのロータリーエンジン、世界初のGPSカーナビ(ユーノスコスモ)、ライトウェイトスポーツのブームを作ったロードスター、有名デザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロがデザインを絶賛したユーノス500等、ユーノス店の販売車種を中心に現在でも通用する技術やデザイン等、高い評価を得ている車種も存在する。
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